縮小するニッポンと、サイレント・テロ
「縮小ニッポンの衝撃」というNHKスペシャルが話題になっていたので、5分バージョンを見てみました。(お金払わないと全部は見られないの…)
オリンピックの2020年から、東京の人口が減少に転じるそうです。
上京してくる若者たちの人数は、減っていく。
東京に出て来ている若者たちは、結婚する余裕がない。
人口減少によって、消滅の危機に立たされている地方都市、町、村。
人がいなくなれば、都市機能を維持できなくなる。
それは事態がこのまま推移した場合の、未来の東京の姿でもあるのでしょう。
法人税は下げて、消費税は上げて。
その一方で、経団連はこんなこと言ってました。
法人税は下げて、消費税は上げて、だって。
消費者=労働者をどこまで締め上げるつもりなんでしょう。
内部留保は過去最高額、パナマ文書の問題はそのまま、給料はなかなか上がらない。
なんかもー、そろそろ、日本の労働者というか若者は怒っていいんじゃないですかね。
サイレント・テロ
でも、すでにもう報復は始まっているのかもしれません。
100円ショップで満足し、高いモノを買わなくなったデフレ社会。
もちろん給料が少ないから高いものを買えないという面はあるのだと思いますが、例え少し余裕ができても、高いものを欲しがらない傾向が、特に若者の間にあるように思います。
最近はミニマリズム、シンプリズムも流行りです。
これってサイレント・テロっていうんですよね。
現在の社会状況、または自らの置かれた社会的状況に対して悲観的観測を抱きながら、それを「現実」として受け入れようとするときに起こる人々の行動(ある意味で反動)。
その「悲観的状況こそが「現実」なのだ」と諦観する、一種の「絶対観」的な「現実肯定」に基づいて、「スロー消費」「非婚・晩婚化」「少子化」「NEET」「ひきこもり」「自殺」などのように、さまざまな社会活動――消費行動や人間関係、ひいては自らの生存そのものを消極化、縮小、または消滅させていくこと。
これらの消極的かつ間接的な暴力によって、意図するとせざるとにかかわらず、「見えない社会の空洞化」が引き起こされる。現在の社会に対する消極的抵抗、あるいは沈黙の異議申し立てであるといえる。
大企業が法人税を下げさせ、内部留保を貯め込み、パナマで租税回避をして、政治家や経営者層が富を独占している間に、静かな自爆テロはずっと続いてきた。
それがいよいよ東京にもその影響を及ぼそうとしている、だけのことかもしれません。
サイレント・テロが実効し始めるのが、2020年なのかもしれません。
そう考えると、私は東京の消滅という未来を聞いて、怖いと思う反面「ザマミロ」という気分にもなってきます。
フランスの革命前夜みたいな感じ。
何も知らない、知ろうとしない貴族たちは夜ごとパーティで踊って華やかな時を過ごしている。
その華やかな明かりを、宮殿の外に住む平民たちは、闇の中からじっと見つめている。
そんな風景が頭の中に思い浮かぶのです。
静かに壊れていく社会。でも日本はスクラップ&ビルドでやってきた
とはいえ、何か武力闘争のようなものが起こるとは思っていません。
争いを嫌うように、平和を愛するように、おとなしく従順であるように、育てられてきた現代の若者たち。
暴力を使った革命は、おそらく向いていないでしょう。
でもだからって、良いように使われて、踏みつけにされて、いつまでもそのままでいられるわけもありません。
人間にはもともと、自由に生きたい、幸せになりたい、という健全な欲求が備わっている。
それが押さえつけられ続けたとき、彼らは最も彼ららしいやり方、平和な、静かなやり方で、抵抗を始めた。
「さまざまな社会活動――消費行動や人間関係、ひいては自らの生存そのものを消極化、縮小、または消滅させていくこと」。
それが続いてきた結果が、デフレ社会、経済活動の低下、人口減少、様々な形をとって、やがて、大都市東京をも縮小させ、消滅の危機に陥れるかもしれない。
面白いじゃないですか?
もっとどんどんやりましょうよ。
なーんて思ってしまうのです。
(個人的には、セミリタイア、早期リタイアも、広義でのサイレント・テロかなあ、と思っています。)
変革がおこせないのなら、たぶんこの社会は若者のサイレントテロとともに自滅か自壊してゆくほかないだろう。世の大人たちは若者の一見ばらばらな社会的活動からの撤退が社会への怒りという一点に収斂されることを悟るべきである。ひたひたと足元から崩れ去ってゆくのを指をくわえて待ちつづけるのか。
自分で目覚めて変われないのなら、いっそ一度、壊れてしまえばいいのです。
だって日本はこれまでも、スクラップアンドビルドでやってきた。
シン・ゴジラでもそう言ってました。
静かに壊れていく東京の未来には、また違った社会が見えてくるかもしれませんね。