好きなことだけして暮らす
私は頭がどうかしてしまったのでしょうか。
タイトルの言葉が、私の中にしっかりと根を生やしてしまって動かないのです。
「そんなことできるわけないじゃん」と頭の片隅で囁く声がするのですが、いくらそれが囁いても、全然意に介さずにデーンと居座っているのです。
え、ほんとに?
できるのそんなこと?
でも、よく考えてみたらですよ。
それはとても理にかなっているというか、自然だというか。
好きなことだから、取り掛かるまでのエネルギーが少なくて済む。
好きなことだから、実行するためのエネルギーも少なくて済む。
好きなことだから、結果に満足するかどうかの敷居が高くない。(損益分岐点が低い?)
必要なエネルギーが少なくて、結果に対する満足度は高い。(たとえ成果があまり上がらなくてもハッピーでいられる)
むちゃくちゃコスパが良いですよね。
エコで、地球にやさしいですよね(なんか違う)。
さらに、本人がハッピーになることは、周りのためにもとても良い。
幸せな人は、周りも幸せにしたくなる。
それに、幸せな人を見ていると、周りも幸せになってくる。
幸せの輪が広がっていくわけです。
(もし、「そんなことはない、自分は人の幸せを見るとむかつく。人の不幸を見るのが楽しみだ」という人は、おそらく、いま何かをすごく我慢して、犠牲にして生きているんじゃないかなと思います。)
昔、私の親は、私をいっぱしの人間に育てるために、それはそれは苦労しました。
仕事自体は好きなことだったけれど、合わない職場で苦しんで、自棄酒を飲んでは酔っぱらって家に帰り、当たり散らして、その末に泣くのです。
もう嫌だ、もう嫌だと。
でも、続けなければいけないと。
お前たちのために、とは言わなかったけれど、子供でもそのくらいのことはわかります。
親もつらかったと思いますが、自分のせいで親がそんなに苦しんでいるのだと思う子供の辛さはどれだけのものだか、想像できますでしょうか。
おかげさまで私はすっかり人間恐怖症になり、社会不適合者になりました。
そして「仕事はつらいけれどもやらなければいけないものだ」と刷り込まれました。
今考えると、誰かのために我慢して苦しむ生き方なんて、誰も、幸せにしないやり方です。
いっそ好きなことだけして生きて、幸せでいてくれたほうがどんなに良かったか。
例えお金がなくったって、そのせいで子供が良い学校に行けなくったって、目の前で幸せになる見本を見せてくれたほうが、周りにとってずっとずっと良いと、今は思うのです。
もし、もしもですよ。
今、苦しくてたまらないのに、「誰か」のためにと歯を食いしばってお仕事をしている人がいたら、私は確信をもってこう言えます。
「そんなに嫌なら辞めたほうがいい。
そして好きなことをして幸せでいたほうがいい。
そのほうがよっぽどその「誰か」のためになる。」
というわけで私はこれから、好きなことだけして暮らす、を実践していってみようと思います。
ひとさまにお勧めするなら、まず自分からやってみないとね。