「好きなことだけして暮らす」の「好き」について
前に、こういう記事を書きました。
書いてから、この「好き」について、ちょっと誤解されやすいかもしれないな、と思ったので補足してみます。
例えば…
パチンコが好きだから毎日パチンコして暮らす。
とか、
お酒が好きだから毎日お酒を浴びるほど飲んで暮らす。
というのとは、ちょっと違う。
別の言葉でいえば、「自分らしく過ごす」ということです。
あと半年の命、と告げられたら
例えばですよ。
「あなたはあと半年の命です」
と告げられたら。
おそらく、今までできなかった「やりたかったこと」を、死ぬまでにやりたいと考えると思います。
身辺整理とかに必要な時間を除いた残りの時間のすべてで、それをやりたいと思うでしょう。
ここで「死ぬまでお酒を飲んでいたい」、という言葉が出るでしょうか。
出たとしても、少しばかり怪しい。それは、逃避の可能性が高い。
ホントにホントのお酒好きなら、「世界中のすべての種類の酒を味わってみたい」、という言葉は出るかも。
これは、「毎日お酒を浴びるほど飲んで暮らす」とはちょっと違う。
目的が「酒を飲む」ではなく、「すべての種類の酒を味わう」になっているところが、ポイント。
こういう、付加価値というか、ちょっとした特別さが、「その人らしさ」を表すのだと思います。
「自分らしく過ごす」ことは変化と連鎖を呼ぶ
そして例えば、「世界中のお酒を味わってみたい」という希望がある程度かなってきたら、その中でも特にお気に入りのお酒ができたりする。
すると今度は、それを作った人に会ったり、それを作った場所に行ったりしてみたくなる。
本当に気に入ったら、自分の財産を少しそのお酒を作っているところに寄付してみたりする。
そうやって、自分がいなくなった後もそのお酒が人々に飲まれることを考えて、なんだかほっとしたりする。
そしてもし奇跡が起こって、「あと半年」と言われた病気が治ったりしたら。
その人は、ソムリエになったりするかもしれないですね。
「自分らしく過ごす」ことというのは、そういう風に、ほかの「やりたいこと」を呼び起こしたり、あとに続く何かを残していったり、人生を少しずつでも変えていったりするものなのではないかと思います。
これは、ただ毎日お酒を飲んで暮らす、というのとは全然ちがう。
こちらには、「一時的な快楽の連続」はあるかも知れませんが、生き生きとした変化や連鎖は、ないですから。
「死ぬまでにやりたい100のこと」リストの活用
「自分らしく過ごす」ためには、何をしたいらいいのか。
それを見つけるのに有効なのが、例えば「死ぬまでにやりたい100のこと」。
「無理かも」とか「どうせできないかも」などのためらいを取っ払って、死ぬまでにやりたいことをリストアップするという行為。
けれどたぶん、ここで重要なのは、100の項目の一つ一つをクリアしていって、すべてにチェックを付けること、ではない。
リストをやりきることが目的になったら、それはリストに縛られてしまうことになる。
カレンダーと時計とリストを見比べながら、大切な時間を、ただ慌ただしく走り抜けるだけのことになってしまうかもしれない。
そんな風に過ごすことよりも、たいせつなのは、そのリストを書き出すことによって、「自分らしさ」がどこにあるのかを見つけることなのではないでしょうか。
そして見つけた自分らしさを、体験を通じて実感しながら、毎日を過ごしていくこと。
限られた時間の、できるだけ多くの部分を、自分らしく過ごすこと。
これなら、たとえリストのすべてを達成できなくても、たぶん満足できるのではないかと思います。
(100のリストがなぜ100も必要なのかと言えば、人間はそれだけ多面的な存在だということなんでしょうね。)
時間は、過ぎてみればあっという間。だからこそ「好きなこと」には気を付けたい
ある程度、年を取った人にはわかると思うのですが、時間というのはたくさんあっても少しであっても、過ぎてしまえば同じように「あっという間」に思えるもの。
だから、早期リタイアをして毎日ありあまるほどの時間を手に入れたとしても、過ぎてみればたぶん、あっという間なのでしょう。
それを目の前の「好きなこと」に飛びついて、それに費やすだけでは、たぶんもったいない。
どうせ同じ「あっという間」であれば、その間にできるだけたくさんの変化や連鎖があったほうが、絶対おもしろい。
「早期リタイアして、やりたいこと」で思い浮かんだことが、単に一時的な快楽を呼ぶ「好きなこと」なのか、自分らしい時間を過ごせる「好きなこと」なのかは、よく考える価値があると思います。