生きるための仕事からはリタイアする。でも遊びながらの仕事はしたい。矛盾してないよね?
逃げの早期リタイアから、攻めの早期リタイアへ、気持ちが変わってきたことを前に書きました。
早期リタイア後の時間をどう使うか。遊んで過ごすのも、それはそれでいいけれど
そうする中で、遊んでいるのか働いているのか分からないくらい、楽しく働きたい。
今はそう思っています。
(1)がまず主で、(2)は副次的にそうできたらいいな、と思っていることです。
早期リタイアをめざすブログで、働きたい、と書くのは何か矛盾しているようなんですが、素直に感じていることを書くと、こうなんです。
「早期リタイアして、いっさい何もしない」というのは、自分という人的資源を有効活用しないことであって、それはもったいないかもしれないと。
人的資源というほどの価値が自分にあるのかと問われると、ひとさまに胸を張って「ある」と言えるほどの自信は、今はありません。
有効活用しようとしても、結局は「使えないやつ」かもしれません。
でも、やるだけやってみようかなと。
ただ、「生きるためのお金を稼ぐために働く」ということは、もうしたくない。
だから今の仕事はやめます。
これが私にとっての「早期リタイア」ということです。
生きるための仕事からは、自由になりたい。
だから、早期リタイアする。
でも、まったく何もしたくないわけではない。
「遊ぶこと=働くこと」になる働き方で、働きたい。
これが今、思っていることです。
遊びは文化よりも古い
著書『中世の秋』で知られるオランダの歴史家、ヨハン・ホイジンガが、人間と遊びの関係を論考した著書『ホモ・ルーデンス』の冒頭は、この言葉で始まる。「ホモ・ルーデンス」とは、ラテン語で「遊ぶ人」を意味する。
ホイジンガは、人間活動の本質は「遊ぶこと」にあると説く。
人間の文化は最初に「遊び」として発生し、長い間に進化したのだと。
遊びは文化よりも古い – コンパス・ポイント & ジャパニスト | 本質を伝える広告・出版会社
遊ぶことによって、何か新しいものが生み出されてくると思うんです。
遊ぶことによってしか、生まれてこないものもある。
真面目も大事だけど、真面目なだけじゃあ、つまらないし、たぶん停滞する。
「おもしろい」こと、「楽しい」ことには、何か不思議な力がある。
心を浮き立たせ、ワクワクさせて、困難にも構わず立ち向かっていく強さを生む力がある。
先の見えない今の時代、そういう力が、実は一番必要とされてるんじゃないかなあと、ひそかに思っているのです。