遊びをせんとや生まれけん ~ほぼ天涯孤独の早期リタイア~

働くだけの人生に納得できない社会不適合者が、早期リタイアという手段で明るい明日をめざした記録。リタイア済です。

「誰かのために」自分の自然な気持ちを無視して行動してはいけない、と改めて思った。

疲れた~。
ここ数日、本当に久しぶりにエンジン全開で仕事をしているので、本当に疲れます。
逆に言えばこれまでいかに仕事をしていなかったかという…


まあそれは置いておいて。



昨日は悲しい出来事がありました。
人間関係でのトラブル…までいかないか、ちょっとした事故。そういう感じ。


けっこう前から、ある人から頼まれて、ある人の面倒を見ていました。
まあ大した内容ではなくて、ちょっと教えてあげるとかちょっとしたサポートとかなんだけれども、それなりに時間を使ってやっていたわけです。


最近、少しばかり大きな仕事が舞い込んできて、それを私がサポートしてる人、Aさんとしますが、Aさんがやることになった。
何事にも謙虚というか自信がないAさんは、やれるかどうか不安だという。


能力的には問題ないし、似たような仕事を一度クリアしているので、今度も大丈夫、と一生懸命励ましつつ、ちょっと足りてないところなんかを教えていました。


仕事で疲れた某日も、早く休みたいなあと思いつつ、面倒見るよう頼まれてるし私がやんなきゃな、って思って、ほぼ手取り足取りで付き合っていました。


そして昨日。
Aさんから、その仕事を「自信がないから他の人がやるようにしてほしい」と言われたと、まとめ役から聞かされました。


もうがっくりです。
私の時間は、睡眠時間を削って手取り足取りつきあったあの労働(あえて労働)は、なんだったのか。



Aさんが悪いのではない。
私も、自信がないことを無理にやらされる苦痛はよくわかっています。
がんばればできるし、と思う一方で、無理させてるなと、心苦しく思う面はありました。
でも、Aさんの面倒みてね、仕事できるようにサポートしてね、と頼まれたからやっていた。


何が悪かったかと言えば、
「頼まれたから」と、
自分の自然な気持ちに反することを、無理してやっていたのがいちばん悪かった。


その結果として、かなりの時間を無駄に失い、徒労感を手に入れてしまった。
人生も折り返し地点を過ぎて、無駄にできる時間は本当にもう、ないのに。



私は頼まれると断れないたちだったけれど、
もうほんとにやめよう、としみじみ思いました。
自分の時間を、本気で大事にしよう、と。


その結果、誰かを悲しませたとしても、
少なくとも私は、私の時間を、私を大切にできる。
おそらく今回のように、私とAさんの両方が不幸になるようなことは、防げる。



好きなように生きる、というのはつくづく難しい。
何故かと言えばそれによって、誰かを失望させたり、怒らせたり、嫌われたりするから。
人に迷惑もかけてしまうから。


それでも、やっぱり、自分の気持ちを無視して行動してはいけないんですよね。
誰よりもまず自分自身が、誰かを恨んだり、嫌ったりしないために。
そして自己嫌悪に陥ったり、虚しさにさいなまれたりしないように。


だいじな言葉、「NO」を言えるようになること。


わたしの兄弟たちよ、何のために精神の獅子が必要になるのか。なぜ重荷を担う、諦念と畏敬の念に満ちた駱駝では不十分なのか。


新しい諸価値を創造すること―それはまだ獅子にもできない。しかし新しい創造を目指して自由をわがものにすること―これは獅子の力でなければできないのだ。


自由をわがものとし、義務に対してさえ聖なる「否」をいうこと、わたしの兄弟たちよ、そのためには、獅子が必要なのだ。

精神の三段階


いかなる義務に対してさえも、聖なるNOを言うことができるように。
自分の時間を、自分でちゃんと守れるように。


強くなっていきたいな、と思います。

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