自分にとっての幸せの基準を持つということ
早期リタイア、セミリタイアという手段を含めて、自分がどういう風に生きていきたいかを考えるとき、重要になってくるのが「自分にとっての幸せ」は何か、ということだと思います。
そもそも、幸せってなんでしょうね。
昔読んだ漫画には、こう書いてありました。
「あたたかいお布団と、おいしいごはんがあれば、幸せ」と。
いまの日本では、よほどのことがない限り誰でも手に入れられるものなので、ありがたみが薄れているかもしれません。でも、これは幸せの基本なんだと思います。
身体が「おいしい」と感じられる食べ物と、「ここは安全で、安心できる」と思える、安らげる場所。
生きることと密接に結びついているからこそ、ささやかだけれど、すごく大事な幸せだと思います。
さて、おいしいごはんと安らげる場所を手に入れたら、次は何がほしくなるでしょうか?
ここが、人それぞれの「自分にとっての幸せ」になるんでしょうね。
私は、ネットできる環境と、お気に入りの本と、お気に入りの音楽があればいいかな。
あとは、家の近くに、お天気の日に散歩と森林浴と日光浴ができる公園のような場所があって、おいしい紅茶の飲める静かなカフェがあって…
こうやって考えていくと、自分に本当に必要なものって、実はそんなに多くないんだなということがわかります。
少なくとも私にとっては、
タワーマンションで昼は雲を、夜は夜景を見下ろす生活とか、
毎日エステでリフレッシュする暮らしとかは、
まったくあこがれない…と言えば嘘になりますが、
自分が幸せになるために、本当に必要なものではない。
だから、私の場合は、
そんなに莫大な資産がなくても、早期リタイアという道を選ぶ決断ができた。
自分にとっての幸せって何なのか。
自分がホントに欲しいもの、こうありたい自分ってどういうものなのか。
それをよくよく考えてみると、
早期リタイア・セミリタイアという手段も含めて、
生きる道がいろいろ広がるんじゃないかなあ。と思いました。