遊びをせんとや生まれけん ~ほぼ天涯孤独の早期リタイア~

働くだけの人生に納得できない社会不適合者が、早期リタイアという手段で明るい明日をめざした記録。リタイア済です。

早期リタイアを考えることは、おしまいの日と、それまでに何をしたいかを考えること

この前の日曜日、良いことがありました。

今までできなかったこと、無理だと思って挑戦すらしてこなかったことが、人と協力して、自分も試行錯誤することで、できるようになったのです。

もう、うっきうきです。

翌日が月曜日だと思っても、ツラくありませんでした。

達成感の力って、スゴイ。


こんな休みの日と交互なら、働くのもけっこういいものかもしれないのにな~、

なんて思ったものです。

週休4日で、交互に働くとか。

1日働いて3日休んで、1日働いて2日休むとか。

そういう働き方がしたいです。

他の、仕事が欲しい人とも仕事を分け合えるし。


もっともっと、自由な働き方が増えればいいのにな、と思います。


早期リタイアについて考えることは、「おしまい」を意識すること。

人それぞれだとは思いますが、仕事を辞めたら基本的に貯金を切り崩して生きていこうとしている私などにとっては、早期リタイアを計画すること=自分の生涯の終りについて考えること、です。


私の場合、

大体、健康寿命の76歳くらいまで生きられたらいいな、

そのあとは、健康でいられなくなったらあまり長生きはしたくないな。

と思っています。


それを元に、

今、年にこれくらいのお金がかかっているから、

これくらいのお金が必要そうだ。

ということは、今の資産とあわせて、どのくらい収入を得ればいいか。

と計算していくわけです。

(もちろんインフレや、日本の財政破綻のリスクも織り込んで・・・)


つまり早期リタイアの準備は、

おしまいのときを考えることから始まる、と思うわけです。

「お終い」であり「お仕舞い」、自分の人生のたたみ方といったようなことですね。



もちろん、

思いのほか長生きしてしまうこともあるでしょうし、

思いもかけない幸運な出会いがあるかもしれないし、

想像もしていなかった天災が来るかもしれないし、

隠れた病が発見されて余命1年になるかもしれない・・・


未来のことは、わかりません。


怖いのは、想定外に長生きすることか、心の準備のないままで逝くことか。

家族は、思いのほか長生きしてしまうのが怖い、だから働ける限り働きたい、といいます。


一方、私は、天災や隠れた病で、余命が想定外に短かったとき、それを受け入れる準備ができていないことのほうが怖いです。


だから、合わない仕事で空虚な時間を過ごすことをやめて、やりたいこと、やるべきだと思うことに時間を使いたいのです。


生きているうちにやりたいこと、「願い」を、

大きくても小さくてもいいから、ちゃんと持って、

それを実現するために、時間を使いたいと思っています。


そうやって一つ一つ「願い」をかなえていけたら、

必ずやってくる「おしまいの日」も、

「願い」をかなえないままよりは、安らかに迎えることができると思うのです。


(もちろん普通に働きながら、「願い」を着々と実現している人もたくさんいると思います。

すごいことだし、素晴らしいなと思います。

私の場合は、

・仕事で使う時間の多さが苦痛であること

・仕事に使う時間を減らしても(なくしても)生きていけそうだというめどがたったこと

だから、普通に働くことをやめようと思った、それだけのことです。)


だから、もしそれで想定外に長生きしてしまって、お金が足りなくなって、

さらに、助けてくれる人もいない、となっても、

それはそれで仕方ないかなと思っています。


それはもう、自分はこの世での役割を終えたのだ、というだけのことだと思うんですよね。


もしまだ必要とされているのなら、

お金がもらえたり、誰かが助けてくれたりするでしょう。

そうしたら、必要とされる限りがんばるだけ。


もちろん、こんなことを書いていたって、

いざ実際に、これでおしまい、となったときは、

やっぱり「死にたくない!」って叫んで必死でもがくと思います。

それは生命体としての本能だから、仕方のないことです。

みっともなく終わっても、それはそれで、いいや、と思っています。


そのときの有様がどうであれ、

それまでの心のしたくがちゃんと出来ているか、

そのことが私にとっては重要なのです。


最後に、次に生まれてくる人のためにできること。

まあ、私はあんまり、長生きをする気がしないし、したいとも思っていません。


健康寿命を超えても健康でいられて、まだ世間の役に立ってお金がもらえるような仕事ができていたら、そのときは長生きも悪くないな、という程度です。


それに、いつまでも生きていたら、次に生まれてくる人の分の場所がないですからね。

自分なりにきちんと成したいこと、成すべきことを成せたなら、次の人のために場所を空けることも、大事な役割なのではないかと思います。



それにしても、せめて、次に生まれてくる人のために、

今の世の中はもうちょっとどうにか・・・しておきたいものですね。


例えば、ますぞえさんのしたようなことは、恥ずかしいことなのだと、

いい大人は、ああいうことをしてはいけないのだと、

ちゃんとそう言える世の中になってほしいです。

(今は何となく、やったもの勝ち、の風潮がありますよね)


なぜいけないかといえば、

法律で禁止されているからではなく(法には抵触しないそうですが)、

自分たちだけいい思いをしてズルイからではなく、

人としてのつつしみがないからです。


欲のままにやりたい放題に振舞うようでは、

動物にも劣ります。

(動物だって、群れや種族全体を守るために、欲望のままに振舞ったりはしません)

そんな人が自称「トップリーダー」の地位についているだなんて、

本当に、恥ずかしいことです。


でも、今や、こういうことをするのはますぞえさんだけではない。

今は多くの人が、「自己責任」の思想にとらわれて、

「自分さえよければ」という風潮に流されている気がします。

もちろん私自身も含めてです。

それだけ、何と言うか・・・

荒んだ世の中になってしまっていると思います。


次に生まれてくる人のために、

もう少し住みやすい世の中にしておきたい。

そのために、自分にできることはしたいと思っています。

これも、おしまいの日までにやっておきたいことの一つです。

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