遊びをせんとや生まれけん ~ほぼ天涯孤独の早期リタイア~

働くだけの人生に納得できない社会不適合者が、早期リタイアという手段で明るい明日をめざした記録。リタイア済です。

リタイアしたら、何したい?~社会貢献・マズローの欲求段階説~

前回は、「リタイアしたら何したい?」というテーマで、睡眠時間について書いてみました。
今回も、引き続き同じテーマで書いてみたいと思います。


リタイアしたら…
有り余る時間を持つことになる。
自分の好きなことをするのもいいけど、きっとそれだけでは落ち着かない。
何か、人の役に立っているという実感を持つことが必要になってくる気がする。


つまり、リタイアしたらやりたいことの二つ目は、社会貢献かな。


自分のできる範囲で、人の役に立つことをしたい

会社を辞めたいと思う理由の一つが、「自分は今の会社では、十分には役に立てていない」ということ。
それは自分の能力、性格、体力気力諸々では、会社の要求するものに対応できないから。


だから、自分の能力云々でできる範囲内で、何か人の役に立つことをやりたい。
そのためにも、早期リタイアしたい。


これは、マズローの欲求段階説の「承認要求」に相当するかもしれません。


マズローの欲求段階説とは、人間の欲求には、
 1.生きるための「生理的要求」
 2.安全な生活を求める「安全欲求」
 3.集団へ属することを望む「社会的欲求」
 4.他人から認められることを望む「承認欲求」
 5.自分の能力で創造的な活動をしたい「自己実現欲求」
 6.自我を忘れた献身など「高次の願望」へ向かう「自己超越欲求」
の段階があるという説です。
(自己超越欲求については簡単に書くのが難しく、そして面白い話なので「マズロー」「自己超越」で検索することをお勧めします)


マーケティング理論やモチベーション向上のための理論などで、聞いたことがある人も多いかと思います。



通常、1が満たされると2の欲求が出てきて、2が満たされると3の欲求が出てくる、というように理解されがちですが(私もそう理解してました)、必ずしもそうでもない場合もあるようです。


欲求が何によって満たされるか、どの程度満たされれば満足するのかは、価値観によって違いが出るのです。

よって、5段階の下から順番に完全に満たされることが、絶対ではないということをご理解ください。

私の場合、リタイアしてやりたいことの筆頭に「睡眠」が出てきたことから、「1.生理的要求」がけっこう満たされてない感があります。
今のところ、「2.安全欲求」は満たされている感じで、「3.社会的欲求」はあまり感じません。


「人の役に立ちたい」が「睡眠」の次に浮かんだということは、「4.承認欲求」があるんでしょうね。


(それともちろん、「自分の能力で創造的な活動をしたい」というのもリタイアをしたい理由の一つ。
これは「5.自己実現欲求」にあたるんでしょう。これについてはまた後日、取り上げてみたいと思います。)


無償で、気楽にできること

まず条件として、義務が生じないようなこと。
負担のない範囲で、できること。
気楽にできる範囲で、人に喜ばれるようなこと…


たとえば自分が庭仕事が好きで、花を育てるのが好きだったら、庭に綺麗な花を咲かせて、道を通る人の目を楽しませたり気持ちを明るくしたりできるのかも。
でも、残念ながら私は庭仕事が苦手です。虫、怖い><


たとえば自分が歌が好きで、無償で子供に歌を教える教室とかを開けたら、自分も楽しいし子供や親にも喜んでもらえそう。
でも、残念ながら私は歌が大して上手くありません。そもそもたくさんの人との交流も苦手><


なかなか、難しいものです。



そこで一つ思いついたのが、「青空文庫」。
著作権の切れた小説や、青空文庫での公開に同意した人が提供する創作物を、ネット上で自由に読める電子図書館です。


青空文庫 Aozora Bunko


ボランティアによって運営されていて、希望者は、校正要員、データ入力要員として参加できるようです。


私自身、青空文庫で初めて読んだ小説がけっこうありますから、お役立ち度はよくわかっています。
昔から本を読むのが好きでしたし、タイピングも校正も、仕事でやっていたので慣れています。
一人でコツコツやれるし、人の役にも立ちそう。
これけっこう、いいかも…と、思っています。



それから、もう一つ…心理学ブログ。(心理学の勉強が必須)
心理学の知識をもとに、「読んだ人の心を楽にするような」ブログをやってみる。


メンタル面でいろいろ悩むことが多かった分、心理学には興味を持っていろいろな本を読んだりしてきました。


体系的に学んだわけではないし、感覚的にしか捉えられていないことばかりだけれど、ちゃんと勉強して知識をもっと深めたら、人様の役にも立つかもしれない。
こちらはお役立ち度は全然わかりませんが、やってみたいし、頑張ってみる価値はあるかもしれない…とは思っています。


最後にちょっと話は戻りますが、再びマズローの「段階的欲求」について

先ほど書いたマズローの説について、面白い記事内容が書いてあったので、再びちょっと引用させてもらおうと思います。


第1〜3の外的欲求から、第4〜5の内的欲求に移行する場合、多くの人が矛盾と戦うことになるのです。

その矛盾とは、第4〜5の欲求が第1〜3の欲求を脅かす可能性から生じます。

(中略)

生命の根底である生理的欲求や安全欲求を脅かしてまでも、自己実現欲求を追求する必要があるのか?

と自問自答に陥るでしょう。

(中略)

よって、自己実現の段階へ自身を高めるためには、人間として根底で求める生理的欲求や安全欲求を脅かす可能性と戦い、勝ち抜かなくてはならないのです。


安定した正社員の地位を自らかなぐり捨てて、無職への道を突き進むということは、ある意味、とってもとっても、おバカな行動です。


今まで保たれていた、「生理的欲求」「安全欲求」「社会的欲求」を満たす環境が、このおバカな行動によってぶち壊されるわけです。


家族や親友は反対して当然です。
自分の中にも、まだ迷いというか恐怖は眠っていて、ふとした表紙に表面に出てきます。
これは、マズローの説から見ても、当然のことだったんですね。



さてさて、本当に、
ここまで築いてきた安全な環境を捨ててまで、求めるべきものがあるんでしょうかね。


ここで、
「それでも、私はより高次の欲求を満たすために進むんだ!」
と、ある種の自己陶酔に陥って突っ走ってしまうのも、正解ではない気がします。



落ち着いて、冷静に、淡々と。
本当に自分を幸せにするのは(自分の欲求を満たせるのは)どんな行動なのか、
じっくり考える必要があると思います。



【追記】
もう一つ面白い記事を見つけたので、貼っておきます。
心理学というより哲学、宗教の領域かもしれませんが。


マズローは、もともと自己実現の中に「至高体験」といった、通常イメージされる自己実現とは異なる側面も含めています。至高体験とは、「自我超越、自己忘却、無我、利害や二分法の超越、愛、神性、真善美」等のイメージで表される、ある種の神秘体験、宗教体験とも一致するような、人間にとって最も幸福な瞬間です。



この至高体験は、


世間や人間を完全に愛すべきものとして、咎めず、思いやりをもちまたたぶん楽しみをもって受け容れるという意味で、神性がみられるのである―


というような、「利他性」が大きな特徴となっています。


「自己実現」は様々な解釈がされているんですねー。
これは原文とかちゃんと読まないと、きちんと理解できないかもしれない…。
(読んでも理解できないかもだけど)


この記事にある「至高体験」というもの、わかる気がします。
求めて得られるものではなくて、結果としてついてくるもの。
「自己実現」は欲求ではあるけれど、求めて実現できるものではない、と。


なかなか深いですよね。

×

非ログインユーザーとして返信する