遊びをせんとや生まれけん ~ほぼ天涯孤独の早期リタイア~

働くだけの人生に納得できない社会不適合者が、早期リタイアという手段で明るい明日をめざした記録。リタイア済です。

生きるための仕事からはリタイアする。でも遊びながらの仕事はしたい。矛盾してないよね?

逃げの早期リタイアから、攻めの早期リタイアへ、気持ちが変わってきたことを前に書きました。


早期リタイア後の時間をどう使うか。遊んで過ごすのも、それはそれでいいけれど


そして「好きなことだけして暮らす」を実践していきたい。
そうする中で、遊んでいるのか働いているのか分からないくらい、楽しく働きたい。

今はそう思っています。


働きたい、と思う理由は、主に次の2点からです。


(1)自分の個性、能力を発揮して何事かを成すことは幸せだから。なおかつそれで人が喜んでくれたら、もっと幸せだから。
(2)少子高齢化の進む中、日本のインフラや社会制度を使わせてもらうだけでなく、それを保ち、より良くするために、経済活動への参加や、納税を通して貢献したいから。


(1)がまず主で、(2)は副次的にそうできたらいいな、と思っていることです。


早期リタイアをめざすブログで、働きたい、と書くのは何か矛盾しているようなんですが、素直に感じていることを書くと、こうなんです。


「早期リタイアして、いっさい何もしない」というのは、自分という人的資源を有効活用しないことであって、それはもったいないかもしれないと。


人的資源というほどの価値が自分にあるのかと問われると、ひとさまに胸を張って「ある」と言えるほどの自信は、今はありません。
有効活用しようとしても、結局は「使えないやつ」かもしれません。
でも、やるだけやってみようかなと。


ただ、「生きるためのお金を稼ぐために働く」ということは、もうしたくない。
だから今の仕事はやめます。
これが私にとっての「早期リタイア」ということです。


生きるための仕事からは、自由になりたい。
だから、早期リタイアする。
でも、まったく何もしたくないわけではない。
「遊ぶこと=働くこと」になる働き方で、働きたい。


これが今、思っていることです。


遊びは文化よりも古い


著書『中世の秋』で知られるオランダの歴史家、ヨハン・ホイジンガが、人間と遊びの関係を論考した著書『ホモ・ルーデンス』の冒頭は、この言葉で始まる。「ホモ・ルーデンス」とは、ラテン語で「遊ぶ人」を意味する。

 ホイジンガは、人間活動の本質は「遊ぶこと」にあると説く。

 人間の文化は最初に「遊び」として発生し、長い間に進化したのだと。

遊びは文化よりも古い – コンパス・ポイント & ジャパニスト | 本質を伝える広告・出版会社


遊ぶことによって、何か新しいものが生み出されてくると思うんです。
遊ぶことによってしか、生まれてこないものもある。
真面目も大事だけど、真面目なだけじゃあ、つまらないし、たぶん停滞する。


「おもしろい」こと、「楽しい」ことには、何か不思議な力がある。
心を浮き立たせ、ワクワクさせて、困難にも構わず立ち向かっていく強さを生む力がある。


先の見えない今の時代、そういう力が、実は一番必要とされてるんじゃないかなあと、ひそかに思っているのです。

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