リタイアの望み
ずっと考えていました。
思わぬ副収入で資金が一定額になってから。
仕事を辞めたい。
辞めたらどんなにすっきりするだろうと。
ブラックではない。
人間関係も最悪ではない。
やましいこともしていない。
会社がつぶれそうでもない。
忙しくて殺されそうなわけでもない。
ただ、仕事に興味を持てない。
他人にも全く興味を持てない。
このまま会社にいても時間の浪費。
昨日それを強く感じました。
このまま何かあったら私は、周りの人を恨むだろうと。辞めることをとめた人や会社の人を。
だから真面目に、リタイアに向かって進んでいこうと思います。
辞めて何をするのか?
期待されているのは、新しい事業を始めるとか、別の会社に就職するとか、学校に入りなおすとか、そういう答え。
そういう意味では、何もしない。何もしたくない。
ただ生きたいままに生きてみたい。
絵を描きたい。
文を書きたい。
本を読みたい。
映画を見たい。
旅行に行きたい。
いろいろな歴史や風俗や物語を知りたい。
仕事をしながらそういうことをするのと、辞めてそういうことをするのと、どんな違いがあるかといえば、精神的および時間的余裕の問題だけなのでしょう。
それでも、その余裕が欲しい。
生きるために働く時間を取らなくても、いまある資産を使っていくだけで、おそらく何十年かは生きられる、そんな計算をしています。
それに、自分は長生きをする気がない。人生折り返し地点を過ぎた年齢の今、残された数十年で何をするかを考えたい。
もし資金が尽きてそこでしぬなら、それで良いと思います。
もし自分のしていることが社会の役に立って、必要とされるなら、資金が尽きてもいきていくことはできるでしょう。
役に立たず、求められず、しんでいくなら、それはそこまでのこと。
ゴールデンウィークが一つのポイントになると思います。
空いた時間をどう使うのか。
その休日がずっと続くことに耐えられるのか。
結局は、体験しないとわからないことですが。
仕事をしていく上で必要な、人と人とのネットワーク。そのための知識。
それに私は興味がありません。
仲良くしたい相手としか仲良くしたくはない。
相手が憎いわけでもなく、戦いたいわけでもなく、ただ興味がない。
「でもそれって、仕事だけじゃなくて生活のうえでも必要じゃないの?」
それはその通りだと思います。
多分わたしは社会不適合者なのでしょう。
もう何十年とそうやって生きてきたから、いまさら変えようもありません。
だからもう変えなくてもいい。
せめてひっそりと社会の片隅で、やりたいことをやって生きていきたい。
ただ流されて普通の人を演じて生きて終わるのはもったいない。
だって、せっかくもらった人生なのだから。