映画「殿、利息でござる!」に見る、経済危機打開のヒントと「無私の心」
昨日は映画「殿、利息でござる!」を見てきました。
(はい、羽生結弦君が見たくて行きました。)
感想を一言で言うと、「まいりました」。
笑いあり涙あり(涙成分かなり多し)の時代劇です。
ていうか泣いた泣いた。
一緒に見た友人と、映画のことを話そうとすると、涙ぐむほどやばかった。
「そりゃ、そうできたら素晴らしいけどさあ、
現実問題としては、無理でしょ。」
って言いたくなるようなこと。でも、史実だったらしいこと。
それが、描かれた映画です。
とある宿場町の経済危機を救うお話なので、現代の経済問題にもつながるものがあり、
大変考えさせられました。
以下重大なネタバレ含む感想です。
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あ、ちなみに羽生結弦君の「殿」は、その非日常感が、役にぴったりはまっていました。
映画の中では庶民を苦しめた悪い殿様なんですが、
最後に美味しいところを持っていくという役どころで、
とてもさわやかでかっこよく、可愛くて声もよくて(長すぎるので省略されました)
町を救ったのは逆転の発想、そして後押しした「無私」の心
この映画は、東北のとある貧しい町で起こった窮民救済事業の顛末を描いたもの。
仙台藩の宿場町・吉岡宿は、
お上から負わされた「伝馬役」(※)の金銭負担のために貧しさに苦しみ、
耐えかねた者の夜逃げが多発して、
そのために残された者たちの負担がさらに増える、という負の循環に陥っていた。
※お上の物資を隣の宿場町から次の宿場町へと運ぶ役目。ある事情で吉岡宿は無償で負わされていた。
その惨状を見かねた有志の者たちが立ち上がり、
当時、莫大な資金を必要としていたお上に、お金を貸し付けて利息を得て、
「伝馬役」の費用を賄おうという計画を立てた。
そのために必要な資金は1千両、現代の3億円。
利息は「伝馬役」の費用を負担する町人で分け合うため、
出資した人の儲けにはならない。
それでも町のため、それそれ家財お宝を質に入れ、田畑を切り売りするなどして、
なんとか1千両を集める。
お上に嘆願状を出したところ、
藩の経済・民政担当者である萱場に取り付くしまもなく却下される。
そのとき、この計画の発起人である穀田屋十三郎の父、今は亡き先代・浅野屋甚内が、
同じように町を苦境から救うために、
何十年も前から資金を貯めていたことがわかる。
このことにこころ動かされた者達の熱意により、嘆願状は再び萱場の元へ届けられた。
今度は受け入れられたものの、町人達が扱っていた「銭」(貫文)ではなく、
お上の扱う「金」(両):で出せということになった。
これには、もっと取れると踏んだ萱場の罠があった。
お上が財政負担を賄うため銭を量産したために、
「金一千両」=「銭5000貫文」であった銭レートは下がっており、
追加で「銭800貫文」分、必要になってしまったのだ。
それでも、現・浅野屋陣内(十三郎の弟)が、父の大願を果たすためと
倒産寸前に陥るまで出資するなど、皆で何とか追加分を集め切る。
無事、お上に一千両を貸し付けることができ、
受け取った利息を「伝馬役」の負担にあてることができて、
町は息を吹き返した。
また、先代の浅野屋をはじめとした町の人々の心意気に
感銘を受けた仙台藩主の取り計らいにより、
現・浅野屋は倒産を免れることになった。
めでたし、めでたし。
・・・という物語です。
出資するのは名誉欲のためではなく、町を救うためだという目的を明確にするため、この計画の賛同者たちは、計画のことを子々孫々まで他言しないという「掟」を作っていたので、広く世に知られることはなかったそうです。
(喧嘩しない、集会では末席に座る、などの掟を含め、「つつしみの掟」といいます)
ただ、当時の寺の住職によって國恩記という書物に残されており、それを元に「穀田屋十三郎」(「無私の日本人」所収)という小説が書かれて、この映画の原作になったわけです。
私利私欲のあるままで、「無私」になる
この映画は時代劇とはいえ、現代に通じる部分がとてもたくさんあります。
萱場は、この世には二つの立場がある、利息を取るほうに回るか利息を取られるほうに回るかだ、として、最初の嘆願を突っぱねます。
お金をたくさん持っていて人に貸し、利息を取れるほうが勝ち、という価値観が見て取れます。
投資したもの勝ちの現代にも、よく通じる考え方ですね。
また、作中、登場人物が
「昨今は皆、自分のことしか考えておらぬ」
と嘆くシーンがあります(このためこの窮民救済事業に感動し賛同してくれるわけですが)。
いつの時代も同じなのでしょうが、人間、苦しい生活が続くと自分のことで手一杯で、
誰かのために何かを為すのは、本当に難しくなる。
もちろんいまの日本でもです。
そして、お上が行ったお金作りによる、金銭のレートの変動。
「お上がお金を作り始めた!」と劇中で言われたとき、どきっとしました。
まるでアベノミクスを見ているようでした。
とまあ、現代と重なる部分の多い作品です。
吉岡町からして、財政破綻の危機におびえる日本と重なります。
それに、
お上に苦しめられることを「どうにもならない」と諦めていたり、
町を救う計画が始まってからも、
自分の利益にならないと知って出資を渋ったり、
出資するにしても他の人との競争心からだったり、
せめて名前を残したいと思っても「他言するな」と言われてガッカリしたりする姿にも、
とても共感できます。
そんな彼らに、「無私」の努力を貫かせ、事業を完遂させたものは何だったのか。
この窮民救済事業に関わった人々を強く導いたのは、
先代・浅野屋甚内の、町のためを思う行動でした。
そして彼の行動の元には、「冥加訓」という書物の教えがありました。
江戸中期の儒学者、関一楽が記したもので、孟子の性善説に連なる儒教の一派「陽明学」が盛んな土地で書かれたものです。
私利私欲を捨て、自然の心に従う暮らしをすること、
おごらず、富は自分の利益のためでなく他人のために使うこと、
それが結局、自分のためにもなること、
というようなことが書かれているそうです。
「籠に載って人の肩を苦しめ、馬に乗って馬の肩を苦しめてはならない」
という教えもあって、私は正直へぇーーーっと驚きました。
この時代にこんな教えが庶民に伝わっていたなんて、と。
正直、日本人、舐めてました。ごめんなさい。
これらの言葉が、少し耳に痛いながら心をうつのは、
ものすごく真っ当で、自然なことだからなんだろうな、と思います。
だからこそ、
町人たちも、嘆願状を取り次ぐお役人も、
それぞれの私利私欲を持ったままで、無私の行動に参加していたんだろうなと。
そしてパンフレットに書いてあったのですが、幕末になるとどこの藩も経済破綻に苦しんだけれど、どこでもかならず「庶民を救う経済復興策」を実行する人が出た、というのです。
彼らの行動の底にも、「冥加訓」と同様の思想が流れていたようです。
世の中が大変なときは、
私利私欲があってもいいから、「無私」の心で、
人を助けるために、みんなで助かるために、
知恵と財産をつかう。
そして、
困難に立ち向かうときこそ、
真っ当で胸の深いところを打つ、
そういう「自然」に従うことが大事。
これが、私がこの映画から学んだことでした。
あ、いま、
「そりゃ、そうできたらいいよね。
だけど現実問題としては、無理だよね~(笑)」
って思いました?
でもこれ、史実みたいですよ。
この映画、たくさんの人に見て欲しいと思います。
英語化もされないかなあ。ムヒカさんにもみてもらえたらいいなあ。
でも、地味な話だから、難しいだろうなあ・・・。
蛇足かもしれませんが、追加で。
この映画から学べることはまだあって、
一人ひとりが自分のためだけを思って財産を守っていたら、
いずれは自分自身ふくめ、町ごとつぶれていただろう、ということです。
世の中が大変なときには、
他人を踏みつけて自分の利益のためだけに行動するような、
ちっぽけな、こせこせした、セコイ心がけでは、
だめだということ。
早期リタイアと何がつながるかといえば、
「ちっぽけで、こせこせして、セコイ」
政治家や投資家ばかりが大手を振って歩いているような、
今の世の中の動きに取り込まれたままでは、ダメ。
一回、そこから抜け出して、外から見てみたら、
思いつく「逆転の発想」もあるんじゃないの?ということです。
あ、あと、
早期リタイアしても、自分のためだけに時間やお金を使うのではなく、
人のために何ができるかを考えること。
というか、その余裕を持つために、早期リタイアすること、かな。