遊びをせんとや生まれけん ~ほぼ天涯孤独の早期リタイア~

働くだけの人生に納得できない社会不適合者が、早期リタイアという手段で明るい明日をめざした記録。リタイア済です。

働くことは苦しくて当たり前だと、いつだれが決めたんだろうか。

働くことは苦しくて当たり前だ。
って、いつ、誰が決めたんだろうか。
物心ついた時には、
人生は我慢の連続だと、思っていた。


学校には遅刻してはいけません。
どんなに眠くても、朝早く起きて、支度をして、
時間までには登校しなければいけません。


授業が始まったら大人しく席について、
真面目に先生の話を聞かなければいけません。
外ではお日様がさんさんと輝いていて、
うたたねしたら気持ちいいだろうなと思える日でも、
きちんと起きていなければいけません。


予習、復習もきちんとして、
皆に遅れないように、落ちこぼれないように、
苦手な科目は余計に頑張って勉強して、
良い成績を取らなくてはなりません。


小学校から高校までの実に12年間という間、
(もしかしたら保育園、幼稚園からさえも!)
そういう生活を通して、
私たちは「人生は我慢の連続」ということを学んできた。
でもそれって本当に本当だったんだろうか。



教育と社会環境は、人間に「常識」を与える。
それが良いものにせよ、悪いものにせよ、
私たちは成長過程で、何らかの「常識」を必ず持つようになる。
その社会、その時代に最適化された、「常識」を。


「みんなと同じことをしていれば安心」
「苦手なことは努力で克服して、」
 どんな分野でも平均点を取れるようにするべき」
「できないのは、努力が足りないから」
「嫌なことも我慢して、努力するのが良いこと」


良い学校、良い会社、良い生活、良い老後のために、
「今は我慢して」未来のために頑張る。
これが良いことだいう常識。


私たちが育ってきた時代は、確かにそれが良いことだった。



でも、時代は変わっていく。


いま、日本がデフレ経済に覆われ、少子高齢化が進み、
経済的発展のない「失われた○○年」の数だけがどんどん増えていく現状で、
「未来のために今を我慢して努力する」ことは、
希望になり得なくなってきているんじゃないか。


新しい時代には、新しい常識が必要なんじゃないだろうか。


例えば、
「我慢は良いことではなく、
今の自分の自然な感情や直感を優先したほうが、
生きていくうえでうまくいく。」
とか。


例えば、
「苦手なことを人の何倍も頑張って克服するよりも、
得意なことを人の何分の1かの時間で、より極めていくことのほうが、
コストパフォーマンスが良い。」
とか。


これまでの常識を、逆に考えてみたほうが、
今、そしてこれからの時代には、適応できるような気がする。


きっと、働くことにおいても、
「辛くて当たり前」というのは、違っていて、
本当は「楽しくて当たり前」なんじゃないだろうか?



早期リタイアの基本は、
仕事を辞めて、そのあとは働かずに、遊んで暮らすということ。

うん、もちろんそれもいいけれど、
例えば、楽しく…もう、遊んでいるのか働いているのかわからないくらい、
楽しく働いて、それで、お金が入ってくる。
これがいちばん良いんじゃないかな。


それは誰かから奪い取るような方法じゃなくて、
誰かが勝って誰かが負けるゼロサムゲームじゃなくて、
私が楽しくやれて、
誰かにも、楽しくなってもらうような方法で。


 私たちにとっての幸せは、たぶん、
 お金がたくさんあることよりも、
 たくさんの時間を生きることよりも、


 自分の得意なこと(自分に与えられた能力)を
 せいいっぱい磨いて発揮すること、と、
 自分がしたことで人が喜んでくれること、にあると思う。
 その2つを兼ね備えた「遊んで働く」ことが、
 いちばん幸せなことのひとつなんじゃないかな。


そうやってみんなで、
(いつか来る未来じゃなく)
「今、ここ」から幸せになっていく。
そういう道がきっとあるはず。


「そんなのあるわけないじゃん。
働くのは辛くて苦しくて当たり前だよ」
という声が聞こえてきそうだけど、
それは「過去の常識」として、いったん捨ててみたらどうだろう。


新しい時代に向けて、新しい常識を。
行き詰った日本の未来を打開するには、きっとそういうものが必要になるはず。



今日もまた、お花畑な内容になってしまったかもしれないけど、
私の中の直感が書けとささやくので、書いてみました。
理性と科学の時代が少しばかり壁に突き当たっているようなので、
ここらで自然な感情と直感を重視してみるのも、悪くないんじゃないかなと思います。

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