「シン・ゴジラ」と「四月は君の嘘」にみる、想定外な事態が人に与える影響について
すみません、単に映画の感想です。
「シン・ゴジラ」と「四月は君の嘘」、三連休の一日を使って、見てきました。
前者は大評判で大ヒット、後者は原作・アニメ支持者にコテンパンに叩かれる出来という対照的な二本でしたが、個人的には、両方とも面白かったです。
以下、ネタバレを含みますので読みたくない方は回避を。
「四月は君の嘘」:想定外だったのは、たった一つの小さな嘘
ずいぶん前から、アニメを見た友人に、「これ好きなの」と勧められていた作品でした。
ただ、タイトルを見て、切ない恋愛ものと聞いて、何が「嘘」かを含めて大筋が分かった気がしたので、なかなか見る機会を持ちませんでした。
今回、シン・ゴジラを付き合ってもらうお返しという感じで、見に行くことにしたのでした。
(とはいえ友人はアニメから入っていたので、映画については大不評というほどではないものの、はしょりすぎ、と満足はしてなかったみたいです)
ピアノの天才だけれどある事情で今は弾けなくなっている、暗くて優柔不断な高校生の主人公、有馬公正くん。
バイオリンのおそらく天才だけれど譜面を無視しまくりの、猪突猛進で自由奔放、公正くんを振り回す同級生の宮園かをりちゃん。
この二人が、公正くんの女友達(椿ちゃん)と男友達(渡くん)を介して出会い、かをりちゃんに引っ張られる形で公正くんがずっと抱えてきた心の傷と向き合って、それを癒していく。
ちょっといじわるな言い方だけど、よくあるお話。
そのあとにあきらかになる、かをりちゃんの秘密も含めて、ケータイ小説でありそうな展開でした。
タイトルと、切ない恋愛ものという設定から、そこまでは想定内でした。
想定内ながら、泣けましたけどね。
でも「嘘」は、解らなかった。
病気でまもなく死ぬことを隠していたことが「嘘」かなと思っていたけれど、そんなものじゃなかった。もっとささやかな、小さな嘘。
最初、かをりちゃんが椿ちゃんに、渡くんに紹介してほしいと頼んだこと。それが、彼女の嘘。本当は、子供のころからずっと憧れていた公正くんに近づくためだったのに。
嘘の理由は、椿ちゃんが公正くんのことを好きなのを知っていたから。
そして、「わたしは、通り過ぎる人間だから」。
最初から、自分が去っていくあとのことを思って、小さな嘘をついた…。
設定やストーリー展開は、ケータイ小説によくありそうなお話。形式美みたいな感じです。これでもかとばかりに、泣かせる設定てんこ盛りのお話で、そういう意味でとてもあざとい作品だと思います。
けれど、その「嘘」はささやかで、どうでもいいようなちっぽけなことで。
それが逆に、私に想定外の涙を流させたのでした。
友達が言うには、アニメのほうはもっと長くて、もっといろいろなエピソードがあって、もっと泣けるらしいです。
これ以上泣けるとか、もう脱水症状おこしてしまいそうなんですが…まあ、がんばって見てみようと思います。
「シン・ゴジラ」:いろいろ想定外すぎて顎が外れかけました。
別に怪獣モノが好きなわけでもないのに、なんで見に行ったかと言えば、いろいろなところで話題になっており、「実写版エヴァみたい」とか「最後のほう、ゴジラを応援したくなる」といった話を聞いたからでした。
エヴァは好きだったし、庵野監督さんのことだから、普通の怪獣モノにはしないだろうという期待もありました(普通の怪獣モノもあんまりまともに見たことないんですけどね)。
感想。いやすごかった。
何がって言われると困っちゃうけどというか、全部すごかった。いろんな意味で。
最初のうちは、会議会議で何も決まらない姿や、役に立たない御用学者の姿に苦笑したりしていたのですが、第二形態といわれるいわゆる「蒲田くん」(蒲田に上陸して市街を蹂躙したので)を見たときに、いろいろなものがぶっとびました。
なにこれ。なにこれ。カメ?
ちょっと目のあたり愛嬌があって笑えるんだけど。
でもキモイ。エラからなに吹き出してんの?血? キモ過ぎる。でも目が離せない。
もう船はふっとぶわ車はふっとぶわマンションは崩れるわ、大惨事が起きているのに、それを引き起こしているのがユーモラスとさえ言える奇妙な外見のトカゲみたいなカメみたいなしろもの。
(あれ、ゴジラってこんなだっけ?)
と思いつつ茫然としているうちに、蒲田くんは東京湾に消えて、また会議&会議、無難すぎて何も伝えていない記者会見、マスコミの報道という具合に日常っぽい風景が戻ってきていました。
そのあとは、自衛隊の活躍やら、既存の組織のはぐれものが集まってできた「巨大不明生物特設災害対策本部」いわゆる巨災対の活躍やらでストーリーが急速に進み始め、ただただ圧倒されて行きました。
中でも怖かったのは、多くの人々が車で逃げようとして大渋滞を起こし、道路交通が機能不全に陥っているシーン。
ゴジラ来襲により電線が切れ、夜の都心のビル群の明かりが、一斉に消えていくシーン。
そして地上は危険だというので人々が逃げ込んで、ごった返している地下鉄でも電気が消えて真っ暗闇が広がり、悲鳴が上がるシーン。
そして、永田町などの見慣れた都心の風景が、炎に包まれているシーン。
首都直下地震とかが起きたら、こうなるんだろうなあ、と思いながら見ていました。
とにかく都心は人が多すぎ、車が多すぎ、ビルが高すぎ人詰め込みすぎで、何か事が起きたときに、人が避難できる場所も手段も、非常に限られてくるんだな、と改めて思いました。
あと印象的だったシーンは、やっぱり自衛隊の活躍でしょうか。
ゴジラ迎撃もする、避難誘導もする、避難所の炊き出しもする。本当に、こういう時に頼りになるのは今は自衛隊なんですよね。
それから、無人在来線爆弾。名前は聞いていたけど、やっぱり、見ると笑ってしまいます。無茶苦茶やん!て感じで。友達は、「あれ思いついたの絶対ミサトさんだろ」と言っていました。
それに、ゴジラがおとなしく口に血液凝固剤?を突っ込まれているシーンもちょっと面白かったかな。いや、緊迫したシーンなんですけどね。被害者も出て大変なシーンなんですけど…ゴジラがぱくって口とじたら終わりやん!と思いながら見ていました。
あとラストシーンに映る、ゴジラのしっぽの先。
人間くっついてる!!と、その見た目だけでぞーーーーっとしたのですが、よく考えてみると、あれって…
途中で、「単体増殖する」とか「進化を続けている」とか言ってたよね。
もしかしてゴジラの次の進化形態で、分裂しかけてた?
なんかの拍子に血液凝固剤とけたら……ばっさばっさと……こわっ!!!
久々にラストシーンでぞっとする映画を見た気がします。
ちなみに友達は「最初、牧元教授がくっついてるのかと思った」と言いました。
教授がくっついてるわけないやろそれいっぺんにギャグになるやんけ教授なにしてんですかそんなとこで!!!
というわけで、最後になごまされて、どうにか日常に戻ってくることができました。
この映画、最後のエンドロールのところで自衛隊の名前がずらーーりと出てくるのですが、そこもすごかった。
よくこれだけの協力を得られたな、と、監督さんやプロデューサーさんたちすごいなと素直に思うと同時に、あらためて、自衛隊の皆さんありがとう、とそっと心の中で思ったのでした。
自衛隊と言えば思い出すのは、「自衛隊が国民から歓迎される時は…」という、あの名演説ですよね。
『防衛大学第1回卒業式』吉田茂元総理大臣の訓辞が本来の《自衛隊の在り方》を呈する
【昭和32年2月 防衛大学第1回卒業式 吉田茂総理大臣訓辞】
「君達は自衛隊在職中、
決して国民から感謝されたり、
歓迎されることなく
自衛隊を終わるかもしれない。
きっと非難とか叱咤ばかりの
一生かもしれない。
御苦労だと思う。
しかし、
自衛隊が国民から歓迎され
ちやほやされる事態とは、
外国から攻撃されて国家存亡の時とか、
災害派遣の時とか、
国民が困窮し
国家が混乱に直面している時だけなのだ。
言葉を換えれば、
君達が日陰者である時のほうが、
国民や日本は幸せなのだ。
どうか、耐えてもらいたい。
なので私、戦争は嫌いだけど、自衛隊の皆さんは好きです。
「想定外」に立ち向かう・「シン・ゴジラ」のメッセージ
こちらの抵抗もむなしく圧倒的な力で街と人々の生活を破壊していくという点で、シン・ゴジラのゴジラは、3.11のあの天災を思い出させます。
ゴジラに血液凝固剤を注入するポンプ車は、福島第一原子力発電所に冷却水をかけ続けたポンプ車の姿に重なります。
ゴジラを東京で凍結させたまま「共存」を余儀なくされるラストは、私たちがこれから先も福一と「共存」し続けなくてはならないことの比喩のようにも見えます。
そして劇中で、「ありえない」と言われたことがその後すぐに現実化する、というパターンが何度か見られました。
3.11でも、津波の大きさや原発の電源喪失が「想定外」であったため、対策が後手に回り、被害が大きくなってしまったということがありました。
この映画が反原発を訴えているとか、3.11当時の政権を皮肉っているとかは、思っていません。
ただ、「ありえない」で思考停止することの危険性、「想定外」を言い訳にする危険性は、描かれていたように思います。
そして、「想定外」の厄災に対しても愚直に向き合い、東京と日本を守ろうとする人々を描くことによって、3.11後の世界にも「希望はある」と伝えたかったのかなという気はします。
「この国はまだまだやれる」というセリフにも、そういった思いが込められているのではないかと思います。