遊びをせんとや生まれけん ~ほぼ天涯孤独の早期リタイア~

働くだけの人生に納得できない社会不適合者が、早期リタイアという手段で明るい明日をめざそうとするブログです。

働くことが苦痛である社会について

コンビニにおでんも並び始めて、いやーすっかり食欲の秋ですね^^


って、まだ全然、暑いんですけど!
でも、食べてますけどねおでん。
クーラーの効いた部屋で食べるおでんは最高!


働くことや属する会社に「愛」を持てない働く人々

面白い記事がありました。


就労中の18~29歳の若者に、働く意義について尋ねたところ、「働くのは当たり前だと思う」と答えた人が全体の4割に過ぎず、「できれば働きたくない」と答えた人が全体の3割もいた(2015年 電通総研「若者×働く」調査。就労している18~29歳の若者の回答より)。

「愛社精神」を尋ねた調査では、「組織貢献・愛着度」という項目で、日本は28カ国のうち最下位の31%だった(ちなみにアメリカは59%、ドイツは47%である。2012年 KeneXaHigh Performance Institute「従業員エンゲージメント調査」より)。


働くことが嫌い。会社のことも好きではない。


自分も、まんまその通りなので、この結果には納得なのですが、
ではなぜ、そうなのでしょうか?



「働くのがつらい、できれば働きたくないなんてあったりまえじゃん」
という声が聞こえてきそうです。


確かに、「労働は苦しくて当たり前」という考えは、私たちの骨身にしみて当然のこととして認識されているようです。
「世の中に 寝るより楽はなかりけり 浮世の馬鹿は起きてはたらく」
という狂歌の通りです。


でも、これだとちょっとおかしいんですよね。


働くことは、本来、「とってもお得」なこと?!

私自身、早期リタイアをしたいと考えて、それが現実のものとなろうとしている今、働くということの意味が、「働かねばならない」状況であったときとは少し違ってきているなと感じています。


人間は社会的な生き物なので、どうしても、多かれ少なかれ、他人と関わって生きていきたい。
また、マズローの欲求段階説で見たように、「生理的欲求」(食べたり寝たり)、「安全欲求」(外敵に脅かされない環境)の次には、「社会的欲求」(集団に属したい)「承認欲求」(人から認められたい)と、他人との関わり方に関する欲求が出てくるとされています。


ポイントは、「働く」ということ一つで、「生理的欲求」から「承認欲求」まで、まとめて実現できてしまう「はずだ」というところです。
(もしかすると、その上の「自己実現欲求」や「自己超越欲求」まで実現できる可能性すらあります。)


「働かない」生き方が可能になって、改めて考えてみると、「働くのもそんなに悪くない」というか、欲求実現の方法としてはとても効率的、とういうことが分かります。



でも、私は今、働いていて、「もう働きたくない」と思っている。
それは、なぜか。


モラルよりも金儲け、それがまかり通る社会

答えは、「今のような働き方では、働きたくない」からです。
では、「今のような働き方」とはどんな働き方か。


以前、家族に、早期リタイアのことを相談したときに、


「今の社会はおかしい。
人をだましてでも儲けたもの勝ちとされている。
経済的な強者が社会を思うように動かしている。
人件費を安くするために海外に出て行って人を使い捨てて、焼き畑のようにそういうことを繰り返して…
こんな社会を動かす歯車の一つでいたくない」


と言ったことがあります。


「じゃあ、働かないことでその社会を変えることができるの?」
と聞かれて、うーんと考え込みましたが。



いま改めて考えてみると、やはりそういうことなのです。


いまは、どんなことをしてでも儲けたもの勝ちになっています。


株式の取引で、ある企業がシステムへの入力の桁を間違えたがために、その間違いを利用して一瞬のうちに巨額の富を得た人がいました。
制度上は、何の問題もありません。
ですが、モラルとしてはどうでしょうか。


リーマンショックを引き起こし世界中を大混乱に陥れた発端であるアメリカの金融界の人たちは、その責任を取ることなく、巨額の報酬を得ました。
制度上は、何の問題もありません。
ですがモラルとしては、どうでしょうか?


舛添知事が海外出張費などで一般庶民とはかけはなれた資金の使い方をしていたこともそうです。
モラルとして考えればありえないことです。
ただ、これも、制度上は(法律上は)問題のないことだった。


いまはこういうことがとても多い。
モラル、人と人とが支えあうこと、思いやり、他人のことを考えること、そういうことが軽視され、ただ、お金をよりたくさん持つことが、至上の価値になってしまっている。


こうした中で、「働く」こともひどく歪められてしまっていると私は思います。
それは、人を「コスト」としてのみ見ている、という点です。


「人材は宝」ではなく「労働力は安く仕入れるべきモノ」

いま、たいていの会社において、働く人=労働者は、コストとみなされます。


利益を上げるためには、売り上げを上げることと、コストを下げることの二つの方法がありますが、いまの日本のデフレの中で、売り上げを上げることはなかなか難しい。
そこで、コスト削減が注目をされる。


多くの会社では分業とマニュアル化が進んでいて、たいてい、マニュアルに従えば、誰でも同じことができるようになっています。


一定の時間内に一定の品質以上のものを一定の量つくるという観点から言えば、これはとても重要なことです。
ただ、逆に言えば、「誰でもいつでも誰かにとってかわられることができる」ということでもあります。


一方で日本の教育現場では、個性は重視されず、一定の暗記力と計算力と国語力を持つことが良いとされる。
そういう、平均的な力を持ち、まさにマニュアル化された仕事に最適化された人材を生み出す教育になっているのです。


「一定以上の能力(上記の、計算力等)があれば、誰でもできる仕事」
「労働力はコスト」


ここから導き出される結論は、
「労働力の低価格競争」


というわけで、経済格差により安く労働力を使える海外に、一時期、日本の企業はこぞって工場をつくっていたわけです。


いまもまた、安く働いてくれる労働力確保のために、移民を日本に大量に入れよう、という動きが経済界主導で進んでいます。



一部の町工場などで見られる、「職人技」を必要とされるところでは、「人材が宝」でありその人でなければならない、という世界がまだあります。
ただ、一般的な企業では、人は数字化できる単なる労働力であり、コストであり、できるだけ安値で仕入れたい「モノ」でしかない。


まさに、「私が死んでも、代わりはいるもの」(綾波レイ「新世紀エヴァンゲリオン」)というわけです。


人を人として尊重しない社会は

人を「労働力」とのみ見なして使い捨てることは、「コスト削減」による報酬の削減も相まって、社員のやりがいを喪失させることにもなります。


「お前の代わりはたくさんいるんだぞ」
「海外に工場もってるA社と価格競争しないといけないんで、来月から給料下げるから」
こういわれ続けて、やる気の出る社員はいません。
綾波レイのごとく退廃的、無気力になっていっても無理はありません。


また、社員は労働力であるだけではなく、社会の構成員でもあります。


社員の給料が上がらなければ消費力も上がらず、ものが売れない。会社にとっても日本経済にとっても良いことはありません。


それだけでなく、生きがい・やる気を喪失した人間が量産される状況が続くと、社会全体の地盤が揺らいできます。


社会の活気は失われ、モラルは低下し、ちょっとしたきっかけで犯罪の起こりやすい社会に変わっていく、ということも考えらえれるのです。
(今すでにそうなってきている、という気もします)


自分が誰かにとって大切な存在であるという感覚(自己肯定感)を持っていたり、自分が大切に思う誰かを持っていたりする人間は、そう簡単なことでは犯罪に走りません。
失うものが大きいからです。


失うものが少ないほど、自棄になりやすく、ちょっとしたことで犯罪に走りやすい。
人を人として尊重しない社会の生きつく先は、そういう荒涼とした社会なのではないかと思います。


解決方法

一つにはおそらく、
一定以上の品質を持つ「モノ」たる労働力を量産する教育をやめて、
デコボコでいいので突出した能力を持つ人間を育てる教育をすること。
(語学が壊滅的にダメでも数学にはめっぽう強いとか、
授業中、静かに席に座っていることが滅茶苦茶に苦手でも、発明センスがものすごくあるとか)


また、人を単なる労働力、コストと見なさず、
個性を持った人材は宝であり、また社会の重要な構成員である、
ということを認識する企業風土の醸成。


そして、経済至上主義をやめること。
特にトップ層(経営者、政治家)において、
「自分さえ儲かればいい」ではなく、
社員・庶民がいて会社・社会が成り立っており、
その中で自分たちが生きているという事実の認識。


具体的には、経済と政治の癒着をもうちょっとどうにかすること。
経済的強者がそのまま政治的強者にならないようにすること。


お金よりも大事なものがあるということ、
人が人として尊重し合い、生きがいを感じながら生きられることのほうが
ずっと大事だということが、
当たり前のことになること。



大層なことばかり書きましたが、ただ、一個人としてできることは、

経済至上主義の社会に、巻き込まれすぎないようにすること、
お金も大事だけどもっと大事なことがある、と
訴え続けていくこと、


これくらいなのかなあ。


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