遊びをせんとや生まれけん ~ほぼ天涯孤独の早期リタイア~

働くだけの人生に納得できない社会不適合者が、早期リタイアという手段で明るい明日をめざそうとするブログです。

シンギュラリティによる進化は人間に何をもたらすか?

シンギュラリティとは、技術的特異点。
人工知能、AIが人間の脳のはたらきを超えた力を持つとき、とされています。


その前後でAIとスパコンが飛躍的に進化を遂げ、社会の在り方から人間の生き方まで何から何まで変えてしまう、と言われているようです。
今日はその変化する一つ、人間の在り方の変化について少し書いてみたいと思います。
(今日もお花畑です。)


シンギュラリティによる「不老不死」

シンギュラリティのもたらす恩恵の一つが「不労」、つまり人間を労働から解放するということで、前回の記事で少し触れました。
シンギュラリティの描く未来:人は労働からも孤独からも解放される


そしてシンギュラリティによる「ふろう」はそれだけではなく、「不老」ももたらされるとされています。


これは人間の脳をコンピューター上で再現する(脳をアップロードする)ことで、当人と同じ人格を持ったAIを作り出すということです。


こちらの人格は、遺伝子に組み込まれたタイムリミットがありませんので、老いない、つまり「不老」。
そしてそのシステムを動かすエネルギーが供給される限り、そしてそのシステムを格納したハードウェアが壊れない限り「死ぬ」ことがないので、まさに「不老不死」になる。


シンギュラリティを信じる人たちの間では、こんなSFの世界で見聞きしたような話が、いま、現実味を持って交わされています。


そのエネルギーをどうやって恒久的に提供し続けるのか、ハードウェアのメンテナンスをどうするのかなどの問題はあると思いますが、思い切って、そこらへんは解決するものとしましょう。
(エネルギーとしては熱核融合とか、人工光合成とかいろいろあるみたいです。メンテナンスについては、自己修復するハードウェアを想定するのかな。)


そのとき、人間の意識はどのように変化するのか。


自己保存本能が満たされるー怒りと欲の消失?

自我の消滅という最大の恐怖から解放され、寿命の限界という時間の制限から解き放たれた人間の思考は、そのことだけで、これまでとは全く変わったものになる可能性があります。


まず、自己保存本能から来る「怒り」が消えていくでしょうね。
絶対的な安全が確保されたとき、「敵」は存在しなくなるので、身を守るための「怒り」が不要になるからです。


自分を維持するために必要な飲食の欲と、睡眠欲もなくなりますね。
食欲は電子的な存在を維持するためのエネルギーへの欲求に変わりそうですが、そのエネルギーの問題が解決されたとして、です。
そしてコンピューターは寝る必要がないので睡眠欲はなくなる。


財産に対する欲は、結局のところ、自己保存本能に根差すものと思われますので、なくなるでしょうね。
性欲については、快楽として残るかも知れませんが、自分の代わりとなる子孫を残したいという欲は、ある意味、永遠に生きる自分が確保されれば、なくなるかもしれません。(AIの性欲って何だろう(・・?)


名誉欲も、根源には自分を社会の中でよりよく生き続けさせたい、という思いがあると思われますので、消えていく可能性が高い。
さらに、人間がネットワークでフラットにつながって思考や感情を共有できるようになったら、「他人に良く見られたい」という気持ちは、あまり意味をなさなくなる気がします。


怒りが消える。五欲も消える。
仏教で示される、人間を苦しめる根本原因である三大煩悩のうち、二つが消える可能性が、高いわけです。


これだけでも、もう十分、平穏な心の状態で過ごすことができそうです。


残りは愚痴(真理を理解しない心)になるわけですが、これはどうなんでしょうね。


シンギュラリティによる人類の変革が進めば、人類の知性は宇宙にまで満ち、地球外生命体ともコンタクトしてさらに進展してゆく、という話です。
それが「悟り」の状態と違うのか、同じなのか。


なってみないとわからないことではありますが(笑)
一つ、言えることがあります。


不老不死を得るだけでは足りない

わたしは、不老不死がただ「生きる時間を延ばす」だけのことであれば、あまり意味があるとは思いません。

一粒の砂に世界を見、一輪の花に天国を見る。

君の手のひらに無限を、一瞬のうちに永遠をつかみたまえ。

SF小説「リプレイ」の中で引用されていた、ウィリアム・ブレイク氏の詩の一部です。
(正確な文面はいま手元に本がないので確認できないのですが)



一粒の砂はすなわち砂浜の一部であったり、川底の一部であったり、そうやって地球の一部であって、すなわち宇宙、世界の一部。砂粒ひとつにも、世界をみることができる。


野に咲く一輪の花が風に吹かれている。その美しさにハッとするとき、わたしたちの心は、あらゆる幸福と平穏に満ち足りた天国をそこにみることができる。


手のひらの上には、何が載せられるか。空気、風、天、星、望むものはすべて。
可能性は無限にひらかれている。


そして、わたしたちの心は限られた時間の間にも、遠い過去を懐かしく思い出し、はるかな未来に思いをはせることができる。
また産まれる前にも、死んだ後にさえ、想像の翼をはばたかせられる。
有限の時間のうちに、永遠をつかむことができる。



永遠は一瞬にも内包されうるもので、わたしたちの脳というか心は、すでにその術を知っている。
そのことに気づけば、シンギュラリティによる不老不死を望む必要は、実はそれほどないのでは…。


というか、そのことに思いを致さず、いたずらに時間だけを伸ばしても、実のところ、本質的なところでは何も変わらないと思います。


ただ引き伸ばされた時間は、例えば繰り返される日常、動きを止めた彫像の永遠と、あまり変わらないものになる。
変化、進展がないということです。


セミリタイア・早期リタイアで、膨大な自由時間を手に入れたとする。
でも、その時間を生かすも殺すも、その人次第。
というのと似ています。


何も考えず、いたずらに過ごせば、それは永遠に思えながら一瞬のうちに過ぎ去る夢にも似て、あっけなく終わってしまいます。


シンギュラリティでその時間が果てしなく伸びたとしても、結局は同じなのではないでしょうか。
つまり最後には、「退屈」に行きつくしかない。



不老不死になるだけで人間は満ち足りるか、と言えば私はNOだと思います。
そこにはもう一つの要素が必要で、その要素は実はシンギュラリティが来ようと来まいと、既に我々に与えられており、それに気づくか気づかないか、だけなような気がしています。


もちろん、シンギュラリティによってその気づきが容易になる可能性は非常に高いと考えられます。
何しろ、人間の知性は宇宙に満ちる(空間的に広がる)だけでなく、時間的にも過去未来を包含する可能性もあるらしいので…


って、なんだかもう、何でもありのドラえもんのポケット状態になってますね(笑)


まあ、楽しい未来を思い描くのはタダですので。しかも精神衛生上もよろしい。
ということで、これからもシンギュラリティに夢見ていきたいと思います。


シンギュラリティは近い [エッセンス版]―人類が生命を超越するとき
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NHK出版
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