早期リタイアは「(今のような働き方では)働きたくない」という意思表示
家族に早期リタイアしたいと話したとき、反対された理由の一つに、
「そんなことをしている人はみたことがない。
まず無理なんじゃないの?成功した人っているの?」
というのがありました。
よほどのお金持ちでなければ、仕事を辞めてそのまま暮らしていけるわけがない。
何年かは無職でいても、いずれはかならず生活のために再就職するはずだ。
となれば、何か新しい技能を修得するのでもなければ今より条件が落ちることは確実だから、止めておいた方がいい。
ということらしいです。
でもネットで早期リタイア、セミリタイアについて調べてみると、かなりの数の人が実践しているし、実践しようとしている。
みんなで渡れば怖くない、という訳ではないですが、個人的にはとても安心する要素です。
ただこの話をしても、家族は、納得しないだろうな。
「よほどのお金持ちでなければ、仕事を辞めてそのまま暮らしていけるわけがない。
何年かは無職でいても、いずれはかならず生活のために再就職するはずだ。」
というのがとても強い固定観念として、あるようだからです。
それに、かなりの数の人が早期リタイア、セミリタイアをしているとしても、まだまだ世間一般から見れば断然、少数派。
上に書いた固定観念は、常識ともいえるもの。
常識を外れて(普通の会社員という身分を捨てて)、ほぼ道なき道を行くのは(前例の少ない早期リタイアを選ぶのは)、やっぱり不安要素が桁違いに多い。
家族だからこそ親身に心配してくれた結果なのだと思います。
でも。
一つの会社に一生勤めるということが常識ではなくなってきている今。
辞めた後の勤め先も簡単には見つからないという現状。
「それならいっそ、早期リタイア」という生き方は、必然的に求められ始めているとも言えるのではないでしょうか。
そしていまの社会、
より多くを求めてより多くを手にして消費することが善である社会、
「他人よりも稼ぐ」ことが何よりも素晴らしいとされる社会、
経済活動の発展が、普通の人の幸せよりも、さらに時には人命よりも優先される社会。
こういう社会に対する、反撃的なものかもしれないとも思うのです。
前にも書きましたが、はたらく=はたをらくにする=人の役に立つ、というのは、本来とても嬉しいことです。
だから働かない生き方を選ぶのはたぶん、「(今のような働き方では)働きたくない。」から。
じゃあ、どういう風になら働いてもいいのか。
その答えを探すことは、これからの社会がどうなってほしいのか、自分はどうしていきたいのかを考えることにも、つながっていくと思います。