遊びをせんとや生まれけん ~ほぼ天涯孤独の早期リタイア~

働くだけの人生に納得できない社会不適合者が、早期リタイアという手段で明るい明日をめざした記録。リタイア済です。

早期リタイアしたい理由、もう一つ見つけました

今日も仕事に勤しんでいて、ふと気づきました。


私は、
・自分の仕事の成果に、ものすごく自信がない
・誰かに頼みごとをするのが、ものすごく怖い
ということ。


だからメール一本出すにも、上司に内容をチェックしてもらい、自分でも何度も何度も読み返しておかしなところや失礼なところがないか見直し、10分ほど放置してからまたチェックして、そののち、ようやっと送信ボタンを押せるほどです。


会議でもそうで、いつも緊張してしまって、思い通りに進行できたことはまずありません。
他の人が仕切ってくれるのを待ち、自分の意見はいつもギリギリまで言えず、反対意見があっても口に出せず、誰かが言ってくれるのを待つだけ。
自分でも情けないと思いますが、本当に、怖いのです。


常に何かにおびえている…



何か、というのは、考えてみると、人に怒られることだったり、人にがっかりされることだったりします。


こんな仕事内容では、相手を失望させはしないか。
こんなことを頼んだら、相手を怒らせてしまうのではないか。


私が人に怒られたり、失望されたりしたら、その時点で世界が終わる、とでもいうかのように、それを恐れています。



たぶん、子供の頃に、相手を怒らせる&失望させた結果として、生命の危険を感じるほどの恐怖を味わった経験があるためだと思います。


本当に小さい子供のころだったんですけどね。
今は本当に「いい年」なのに、まだその恐怖から、抜け出せないでいるとは。


相手の望むとおりにしていれば安心、安全。
怒らせないように、失望させないように…。


もちろんいまは、年齢を重ねたなりに図太くなりまして、けっこう好き放題に振舞っていますし、普段からビクビクして生きているわけでもありません。
数十年、そういう生き方をしてきて、もう慣れた部分もあります。



でも、やっぱり、疲れるんですよね。
人と一緒にいると無意識のうちに身構えてしまう。無駄に気を使ってしまう。
人と話をするのもメールを送るのも、私にとっては一大事、一苦労。


そして、仕事の成果をもし褒められても、ちっとも嬉しくないのです。
人の望むように合わせて動いただけだから。
そこには、私が自分で成し遂げたものなんて何もないのです。
あるのは、たっぷりの疲労感と「今回もごまかしおおせた」という小さな安堵、自分の成果ではないのに褒められる申し訳なさ、それだけです。



「もうこれ以上、働かなくても生きていけるかもしれない」と思った時に、「会社を辞めたい」と思った理由の一つには、それがあるのかもしれません。


「今のまま勤め続けろ」と言われて、泣きたいほど悲しくなる理由の一部には、そういうことがあるのかもしれません。


会社を辞めて何をしたいかを、考えてみるときに、
 「世捨て人のように、誰にも会わないですむところに行きたい」
ふとそう思うこともあります。


もちろん、そうはいっても本当は人間が好きだったりするので、しばらく人と会わないでいたら、寂しくなって人里へ降りてくるのに決まっているんですけどね。



私はよく、記事の中で、「人の役に立つこと」を大事なこととして書きます。
「はたらく」ということ本来のあり方は、「自分に与えられた能力を最大限に発揮して、人の役に立つこと」。
それは自分も他人も幸せになる道だと、確かにそう思っているのですが、その一方で、


「役に立つかどうかはどうでもいい。
やりたいことをしたい。」


という気持ちもまた、強く持っています。


それは、もはや人の評価を気にしたくない、人の思惑や期待を気にするのをやめたい、そういうものから解き放たれて生きたい、ということなのかもしれません。



会社勤めでは、どうしたって、成果を上げることが大事になります。
というか、「人」という字が人が支えあう姿を象徴しているように、人間社会で生きるということは、お互いがお互いの役に立って生きる、ということなので、「役に立たないこと」はイコール、価値の無いことなのかもしれません。



でも、
それでもいい、
私がやりたいことをやりたい。



「シャンペン・シャワー」というサッカー漫画に、ちょっとした超能力を持つジョゼという青年が出てきます。
ジョゼがその能力で、周囲の仲間にたわいない悪戯を仕掛けて回るエピソードでの、彼と仲間との会話が面白いのです。(本が手元にないので、うろ覚えです)

仲間「その力を人類を救うために使えばいいのに」


ジョゼ「人類全体はこんなもので救えるほど甘かない」


ジョゼ「だから人類のうちの一人を救うために使っている」(自分を指さしまくる)


少なくとも自分くらいは、自分のために、自分の力を使ってもいいはずですよね。

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